刃物職人・田中さんが語る、包丁と東京の60年 | NETOKYO
Tokyo Stories
刃物職人・田中さんが語る、包丁と東京の60年
合羽橋で60年、刃物を研ぎ続けてきた職人がいる。東京オリンピック、バブル崩壊、コロナ、そしてインバウンドブーム――時代の波を包丁とともに生き抜いた田中義一さんの話。
合羽橋、朝8時の研ぎ場
東京・合羽橋道具街。料理道具の問屋が軒を連ねるこの街に、朝8時から包丁を研ぎ続ける職人がいる。田中義一さん、74歳。17歳で刃物の世界に入り、57年間同じ場所で刃を研ぎ続けてきた。
「包丁は正直やね。手を抜いたらすぐわかる。でも丁寧に研げば、必ず応えてくれる」。田中さんが研ぎ石に包丁を当てる音は、朝の合羽橋にリズムを刻む。
60年の東京を、包丁で見てきた
田中さんが合羽橋で刃物の仕事を始めたのは、1969年のこと。高度経済成長の真っ只中、東京は急速に変化していた。「あの頃は料亭や割烹が次々と開いてね。毎日包丁を持ち込む板前さんで店が溢れとった」。
バブル期には高級料理店が競うように高い包丁を求めた。崩壊後は量より質を求める客が増え、コロナ禍では飲食店の廃業が相次いだ。「でもね、料理人がいる限り、包丁の仕事はなくならない。それだけは変わらなかった」。
田中さんが語る「良い包丁の見分け方」
- 刃の厚みが均一であること。素材の歪みは研いでも直らない。
- 柄の付け根(口金)がしっかりしていること。ここが緩むと危険。
- 持ったときに手になじむ重さかどうか。数字より感覚を信じること。
- 「高い包丁より、よく手入れした包丁の方が切れる」。これが真理。
インバウンドが変えた合羽橋
近年、合羽橋に新しい客層が増えた。世界中からやってくる料理好きの旅行者だ。「フランスから来た料理人が、日本の包丁を20本まとめて買っていったこともある。今は通訳さんを通して相談に来るお客さんも多い」。
包丁は言語を超える。良い刃物は、どこの国の人が持っても、その良さがわかる。
— 田中義一さん(刃物職人・合羽橋)次の世代へ
田中さんには弟子が2人いる。どちらも30代で、異業種から刃物の世界に飛び込んできた若者だ。「手仕事の価値を分かってくれる若い人が増えた。それは嬉しいことや」。
朝8時から夕方5時まで、田中さんは今日も研ぎ石に包丁を当てる。東京が何度変わっても、その音だけは変わらない。
