出汁を使わない三つ星「明寂」――ミシュランガイド東京2026の物語
MICHELIN Guide公式記事・発表会見記録等をもとにまとめた編集記事です。 · NETOKYO Editorial
出汁を、使わない。日本料理の根幹をなす昆布と鰹節の旨味を封印し、代わりに海底から湧き出る「海底湧水」と塩だけで食材の持ち味を引き出す――そんな逆張りの手法で頂点に立った店がある。2025年9月25日発表の「ミシュランガイド東京2026」で新たに三つ星を獲得した「明寂(みょうじゃく)」だ。
出汁を使わない三つ星、「明寂」という賭け
港区西麻布、地下フロアにある隠れ家的な店構え。シェフの中村英利氏は世田谷・仙川の小料理屋に生まれ育ち、徳島の調理師専門学校を経て京都「まる多」、東京「青柳」で修業。赤坂の一つ星店で料理長を10年以上務めた後、2022年4月に独立して「明寂」を開業した。2023年版で早くも二つ星を獲得し、開業からわずか数年での三つ星到達というスピード出世を遂げている。
店名「明寂」は、哲学者・山口陽介氏が提唱する美意識概念「明さび」に由来し、「輝きは慎ましさの中に宿る」という思想を体現している。最大の特徴は、昆布や鰹節による出汁をほとんど使わないこと。代わりに海底湧水と塩のみで食材そのものの持ち味を引き出す。中村氏自身の言葉として「水に記憶の痕跡を残す」という表現が紹介されており、自然への静かな感謝を侘び寂びの精神で表現していると評される。おまかせコースは49,500円(2026年4月改定)。
ミシュラン公式のレビューには「シェフの料理は調和的で純粋、海底深くから汲み上げた清らかな湧水によって、それぞれの食材の本質を捉えている」という一文がある。ちなみに前年(2025年版)の新三つ星は英国人シェフによるフレンチ「セザン」だった。西洋料理から和食へ――2年連続で頂点の顔ぶれが大きく振れたことになる。

18年間、一つ星を守り続けた男
今回のセレクションでもう一つ胸を打つのが、新二つ星に昇格した「西麻布 鮨 真」の物語だ。料理人の鈴木真太郎氏は東京都出身、高校卒業後に世田谷の鮨店で修業し、2003年に独立開業、2011年に現在地の西麻布へ移転した。同店は2007年11月の「ミシュランガイド東京」創刊号から一つ星を守り続け、実に18年目にしてついに二つ星へ昇格した。ガイド創刊とともに歩んできた店が、四半世紀近くを経て評価を一段階上げる――これは単なる星の数以上の重みを持つ昇格だと言える。ディナーは35,000円、ランチは15,000円。
三つ星の系譜が生んだ新二つ星2軒
残る新二つ星2軒には、共通する系譜がある。南青山の「伯雲」を営む坂本慎吾氏は、三つ星店で料理長を経験した後、2021年1月に開業した。温度配慮と藁焼きを用いた柔軟な食材の組み合わせが持ち味で、おまかせコースは27,500円。中目黒の「炎水」を営む伊藤竜介氏は、1982年札幌生まれ、「日本料理 龍吟」で7年半修業したのち2020年12月に独立。店名の「炎」は炭火、「水」は出汁を意味し、和食の根幹要素をそのまま店名にした。秋には国産松茸を使ったコース(60,000円)も用意される。三つ星店で修業した独立系シェフが、次の世代の二つ星を生み出している――東京の"星の人脈"が世代交代しながら層を厚くしている構図が見える。
新一つ星14軒、その顔ぶれ
新一つ星は14軒。内訳は寿司6軒(鮨大矢、鮨田中、匠達広など)、日本料理5軒(百薬 by 徳山鮓など。渋谷の「佐々」は寿司職人の感性を懐石に昇華させた異色の一軒として紹介されている)、フランス料理3軒。さらに注目すべきは、タイ料理店「カオ」が一つ星を獲得したことだ。これは日本のミシュランガイド史上初めて、東南アジア料理での星付き獲得となる。ビブグルマンの新規16軒でも「ナイトマーケット」が東南アジア料理として日本で初選出されており、東京の評価軸が和食・フレンチ・寿司という伝統的な枠を超えて広がりつつあることを示している。
発表会場の言葉―国際ディレクターが語った東京
2025年9月25日、ウェスティンホテル東京で行われた発表会見で、ミシュランガイド・インターナショナルディレクターのグウェンダル・プーランネック氏はこう語った。「東京は、何世紀にもわたる料理の伝統と大胆な革新が交差する都市です。江戸時代の技術で丁寧に作られた寿司から、日本の四季や文化を感じる懐石料理、そして世界の料理を日本の風味や技で再構築するレストランまで、今年のセレクションは再びこの都市の驚異的な層の厚さを捉えています」。
97歳、現役の鰻職人が受けた表彰
料理人以外の受賞にも注目したい。サービスアワードは『飄香/Piao-Xiang』統括マネージャーの熊谷泰代氏、ソムリエアワードは『マノワ/MANOIR』マネージャー兼ソムリエの中村豪志氏が受賞した。中でも際立つのがメンターシェフアワードだ。鰻の名店「野田岩 麻布飯倉本店」5代目・金本兼次郎氏は、97歳にして現役の鰻職人という驚異的な経歴の持ち主で、日本料理界の"生き証人"として今回の発表の中でも特に印象的なエピソードになっている。

19年連続世界一という記録の中身
2026年版の総掲載数は526軒、星付き総数160軒、うち三つ星12軒(内訳は日本料理5軒、フレンチ5軒、寿司1軒、中国料理1軒)、二つ星26軒、一つ星122軒。パリの129〜133軒、ニューヨークの71軒と比べても、東京の層の厚さは際立つ。京都93軒、大阪79軒という国内の他都市と比べても頭一つ抜けている。
もう一つの動きとして、日本のミシュランガイド史上初めて東南アジア料理のカテゴリーで一つ星が誕生した(タイ料理店「カオ」)。食文化評論家の東龍氏は「東南アジアといった地域にも焦点が当てられるようになった」と評価している。一方で二つ星から3店が姿を消し、うち2店は一つ星へ降格、1店は閉店により消滅したことも分かっている。
「4つの不思議」という冷めた視線
もっとも、今回のセレクションには称賛一色ではない視線も向けられている。ダイヤモンド・オンラインは「なぜ東京は世界一の美食都市なのか?掲載数526軒のミシュランガイド『4つの不思議』」という記事で、ビブグルマンやグリーンスターといったカタカナの新カテゴリーが次々に作られ、掲載数が"水増し"されているのではないかという疑問を投げかけている。また、発表時期が例年11月末だったものが2025年から9月に前倒しされた点についても、「飲食店にとって12月は繁忙期だが10月は閑散期。外食需要が喚起される狙いがあるだろう」と、ミシュラン側の商業的な意図を分析している。
食文化評論家の東龍氏も「ミシュランガイドの調査が、より広くなり、より厳しくなっているといってよいかもしれません」と分析しつつ、星付き軒数は減少傾向にある一方、ビブグルマン等を含む総掲載軒数は拡大しているという矛盾に着目している。権威あるガイドブックであると同時に、飲食業界を動かすマーケティング装置でもある――ミシュランガイドが東京で持つ二面性は、今回のセレクションの裏側を読み解く上で見逃せない視点だ。
よくある質問
- 新三つ星「明寂」の特徴は何ですか?
- 昆布・鰹節の出汁をほとんど使わず、海底湧水と塩のみで食材の持ち味を引き出す独自のスタイルが特徴です。
- 「西麻布 鮨 真」はなぜ話題になったのですか?
- 2007年のガイド創刊号から一つ星を守り続け、18年目にしてついに二つ星に昇格したことが話題になっています。
- 東京は世界で何番目に星付きレストランが多いのですか?
- 19年連続で世界最多の526軒(星付き160軒)を誇り、2位のパリ(129〜133軒)を大きく引き離しています。
