起きて、待っている。

起きて、待っている — NETOKYO Tokyo Stories
夜の室内、薄明かり
Tokyo Stories

起きて、 待っている。

大学に入った子どもが深夜に帰ってくる。父親はただ、起きている。それだけで、全部わかる気がした。

📅 2026.05.27 ✍️ Personal Essay ⏱ 約6分で読めます 🏷 Tokyo Stories

声をかけるわけじゃない。ただ、起きている。子どもが帰ってくる音がするまで、眠れない。それがいつからか、自分の夜になっていた。

子どもが大学に入って、2ヶ月が経った。入学式の写真を撮ったのが、ついこの前のことのように思えるのに、もうあの子には「先輩」と呼ぶ人がいて、「仲間」と呼べる人間関係の中にいる。自分が知らない場所で、知らない人たちと、知らない時間を過ごしている。

毎日遅い。深夜に帰ってくることも珍しくない。自分の居場所をつくるために、必死に動いているのだろう。先輩に気に入られようとして、同期の中でポジションを取ろうとして、自分という存在を売り込むために、夜の街を歩き回っている。かつて自分もそうだったはずなのに、父親という視点から見ると、それがひどく遠い景色に映る。

誇らしいのか、寂しいのか、自分でもわからない。わからないまま、起きている。

深夜の静かな部屋
PHOTO — Unsplash / Late night interior

2ヶ月で変わった、
家の空気

入学前まで、あの子は家にいた。遅い時間でも、どこかに気配があった。冷蔵庫を開ける音、シャワーの音、部屋の電気が漏れる光。それが今はない。帰ってくるのは深夜で、音を立てないようにそっと入ってくる。気を遣っているのだろう。でも、その気遣いがまた、距離を感じさせる。

子どもが自立しようとしている。それは、親として望んでいたことのはずだ。「自分の足で立ってほしい」と、ずっとそう思ってきた。なのに、いざそうなってみると、喜んでいい場所がどこなのか、よくわからなくなる。

自立とは、親から離れていくことだ。
わかっていても、それが夜の静けさとして届くと、
胸に刺さる。

必死な背中を、
黙って見ている

あの子は今、自分のポジションをつくるために動いている。入学直後の大学というのは、人間関係がまだ流動的で、誰もが探り合いをしている時期だ。そこで埋没しないために、自分を出し続けなければならない。先輩たちに顔を覚えてもらうために、飲み会に顔を出し、サークルに参加し、声をかけ続ける。

それは体力のいることだ。精神的にも、消耗する。帰ってきたときの顔が、少し疲れているのを知っている。でも何も聞かない。聞いてしまうと、何かが崩れる気がして。あの子が必死に守っている「自分でやれる」という感覚を、こちらが手を出すことで壊してしまうような気がして。

だから、ただ起きている。それだけが、今の自分にできることだった。

声をかけなくていい。ただ、電気がついていればいい。帰ってきたとき、家が暗くないように。それだけでいい、と思うことにした。

父親も、
新しいステージに立っている

子どもが巣立つとき、親もまた何かが終わって、何かが始まる。育てる、守る、先回りする——そういう役割が少しずつ手放されていく。それは喪失でもあるけれど、解放でもある。ただ、その「解放」を素直に喜べるほど、父親という生き物は割り切れていない。

これからどうなるのか、わからない。子どもは大学の4年間でさらに遠くへ行くだろう。友人ができて、恋人ができて、就職が決まって、また別の場所へ移っていく。その全部を、こちらはもう見届けることができない。見届けなくていい、と言い聞かせながら、それでも気になっている。

父親というのは、子どもが生まれた瞬間から、少しずつ手放し続ける存在なのかもしれない。最初は抱っこから下ろすことで、次は保育園に預けることで、そして今度は深夜まで帰ってこない日々で。その都度、胸にぽっかりと穴が開くような感覚があって、でも穴はちゃんと塞がっていく。

NETOKYO の視点

東京で子育てをするということは、ある日突然「もう子育ては終わった」と気づく瞬間が来ることでもある。それは劇的な別れではなく、深夜に帰ってくる足音の変化として、静かにやってくる。

子どもが自分の居場所をつくるために必死なように、父親もまた「子どもがいない自分」という新しい居場所をつくらなければならない。それは誰も教えてくれない。育児書にも書いていない。でも確かに、それもひとつの巣立ちだ。

起きて待っている父親たちへ。あなたは正しい。声をかけなくていい。電気だけつけておけばいい。それが今の、あなたの愛し方だから。

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